元本郷町は多賀神社の鎮座する『宮町』です。山車は、昭和五十三年にそれまで使われていた曵き太鼓の台を使用して、堂宮形式の山車に作り直したものです。車輪は八木町清水考勇氏製作の鉄製源氏車です。
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元本郷町の山車の車輪は、八木町清水考勇氏製作の「?」製源氏車です。
彫工佐藤光重作の大鷲の彫刻がシンボルの二層鉾台形式、建造は大正三年工匠萩原左文治といわれています。後部楽屋の花頭窓に軒唐破風が付設されているのがこの山車を特徴づけています。
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八木町の山車は、彫工佐藤光重作の「?」の彫刻がシンボルです。
日吉町二丁目は日吉八王子神社の氏子町会で、大正六年、八王子の山車としては最初の四つ棟造り堂宮形式として建造、工匠小澤美之吉、彫工佐藤光重による正面唐破風の鬼板の彫刻「雌雄の孔雀」が印象的です。
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日吉町の山車は、正面唐破風の鬼板の彫刻『雌雄の「?」』が印象的です。
小門町は産千代稲荷神社の氏子町で、平成十六年より八王子まつりに参加。山車は昭和五十四年に建造・西志村喜吉氏所有の山車を平成十六年に譲り受けたものです。構造は二層鉾台形式、内輪四つ車です。
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小門町の山車の構造は、二層鉾台形式、内輪「?」車です。
地元青木晃氏により平成十七年に建造、千人町一丁目有志の協力により飾付等作成されています。 四つ車・二層鉾台形式の手づくり山車です。
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千人町一丁目の山車は、四つ車・「?」形式の手づくり山車です。
山車は大正三年に建造したといわれる二層鉾台形式、彫工は小松光重、新見常次郎らがあたったと伝えられています。
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追分町の山車は、「?」三年に建造したといわれています。
山車は明治期に建造され、大正四年には佐藤光重らにより大改修されました。 江戸期から明治期にかけて鞍馬天狗と牛若丸の人形をのせていました。昔から「鞍馬の山車」とよばれています。
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八幡上町の山車は、江戸期から明治期にかけて「?」と牛若丸の人形をのせていました。
平岡町は平成二十年西志村訓一氏他有志数人の方々により二層鉾台形式の山車を建造。一部の彫刻や塗物、飾付等は平岡町々会有志の協力により同年六月に完成しました。
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平岡町の山車の構造は、「?」形式です。
八幡町旧一丁目の山車は、大正七年建造。工匠萩原佐文治、彫工佐藤光重。山車人形は三代目原舟月作「神武天皇」。「蝦蟇仙人」「鉄拐仙人」「玉取り龍」「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」などの彫刻は、見ごたえがあります。
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大正七年に建造された八幡町一、二丁目の山車は、三代目原舟月作「?」天皇の山車人形をのせています。
江戸後期に建造の八幡町旧二丁目の山車は八王子最古。このたび明治二十二年改修以来の全面大改修が行われ、山車人形「諫鼓鳥」(かんこどり)が令和元年八月三日夜、約百年ぶりの立ち上げを行いました。山車人形の諫鼓鳥(かんこどり)は文政二年、八幡町在住の彫刻師牧田巳之助の作と伝えられています。
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八幡町旧二丁目の山車にのせている山車人形「?」は、文政二年、八幡町在住の彫刻師牧田巳之助の作と伝えられています。
大横町は「八幡八雲神社、多賀神社」両神社の氏子に属しており、毎年交代で参加しています。 山車は明治四十四年建造の二層鉾台形式、工匠小町小三郎、彫工は小松光重。
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大横町の山車は、明治「?」年に建造された二層鉾台形式です。
戦災で山車を焼失して以来五十九年ぶりに再建、二層鉾台形式、建造には新潟県村上市の伽藍師細野実、平山鋼平らがあたりました。 山車人形は「雄略天皇」です。
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八日町一、二丁目の山車にのせている山車人形は、「?」天皇です。
昭和六年頃建造と伝えられている三層鉾台形式の山車は、工匠小澤美之吉、彫工は池田信之、山車人形は平成十四年制作「浦島太郎」です。
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本町の山車にのせている山車人形は、平成十四年に制作された「?」です。
山車は昭和六十年に再建され、建造には新潟県村上市の伽藍師細野実、平山鋼平らがあたっています。 山車人形は明治十六年三代目原舟月作「素盞嗚尊」です。
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上八日町の山車にのせている山車人形は、明治十六年三代目原舟月作「?」です。
昭和六十一年に建造、二層鉾台形式の山車です。製作には渡邉工務店、宮彫大工の八田直吉・広明があたり、谷合勝氏が所有する山車を令和三年より借用しています。車輪の製作は、川越棒菊です。
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南新町の山車は、昭和六十一年に建造された「?」形式の山車です。
山車は、平成六年に再建された三層鉾台形式、建造は新潟県村上市の伽藍師細野実、細野幹雄ほか、山車人形は三代目原舟月作「織田信長羅陵王」です。
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横山町三丁目の山車のせている山車人形は、三代目原舟月作「?」羅陵王です。
大正八年工匠小澤美之吉、彫刻佐藤光重、車大工棒定に依頼し建造された二層鉾台形式。小規模ながら均整のとれた美しい山車です。山車人形は光重作白亜の「諫皷鳥」です。
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中町の山車にのせている山車人形は、光重作白亜の「?」です。
明治四十年頃、二層鉾台形式で創建されたと伝えられ、その後昭和八年頃に紫村喜助により堂宮形式に改造されました。相対的に四つ棟屋型の線が強調された端正な山車です。
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三崎町の山車は、明治四十年頃、二層鉾台形式で創建されたと伝えられ、その後昭和八年頃に紫村喜助により「?」形式に改造されました。
山車建造は大正十一年入母屋八つ棟造りの堂宮形式、工匠小澤美之吉、彫工佐藤光重による豪華絢爛な彫刻で埋め尽くされています。光重快心の作品として注目されています。
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元横山町の山車は、「?」十一年に建造されました。
八王子型一本柱人形山車として明治三十九年建造、工匠小町小三郎、彫工小松光重。戦災で焼失した山車人形を平成十八年修復、平成二十六年には建造当時の一本柱人形山車復元。人形は應神天皇を左手に抱く武内宿禰と膝まづいた龍神(海神)の三体二人立ち。
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南町の山車にのせている山車人形は、「?」天皇を左手に抱く武内宿禰と膝まづいた龍神(海神)の三体二人立ちです。